ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 松野町議会 > 赤松議員の控室

赤松議員の控室

ページID:0011556 印刷用ページを表示する 更新日:2024年6月14日更新
 
赤松議員の控室その3

令和6年5月27日、過疎化ですっかり静かになった吉野の里で久々に吉野生公民館落成式の慶事が行われました。

             ​吉野生公民館の外観 


思い返せば、私が松野町役場に奉職した昭和48年頃は、吉野生地区の職員は、現在の吉野出張診療所にあった吉野生支所(旧吉野生村役場)で宿直し、手動で時報サイレンの操作を行っておりました。

ちょうどその頃、吉野生地区では社会教育振興の拠点となる公民館建設に向けてJR吉野生駅近くの現在地で造成工事が始まり、翌年49年、地域にとっては初となる鉄筋コンクリート造りの近代的な吉野生公民館と広場が完成しました。

あれから早いもので50年が経過し、コンクリート造りは長持ちするものと思っていましたが、老朽化により雨漏りや壁の剥離が生じたり、建物の耐震性が不足する状況にあったことから、今回、地域住民の要望がかない、木造による立派な公民館が完成しました。
特に吉野の町は、急速に進んだ過疎化や少子高齢化などの影響を受けて、以前のような活気がなくなりさみしい思いをしておりますが、幸いなことに素晴らしい自然環境や地域文化、そして人情味あふれる温かい土地柄がしっかり受け継がれておりますので、今後は新築の吉野生公民館を地域づくりの拠点にして、住民が協力して元気な吉野生地区づくりに取り組み、皆が安心して快適に暮らせる地域になるよう頑張っていきましょう。​

吉野生公民館の正面

 
赤松議員の控室その2

役場退職後2年余りを経て、平成23年2月に町議会議員に当選以来、時が経つのは早いもので13年を迎えようとしています。

私が議会報告を発行することにしたのは、役場を離れ一町民としての生活をしていると、いかに町政や議会の情報が入らないかということを実感したことによるものです。

せめて町政の基本となる議会情報を、地域の方々に知らせたいとの思いから、地区推薦をいただいた地元の吉野地区に「赤松としゆき議会報告」を回覧させていただくこととしました。1

 

当時を振り返ってみますと、本町では「平成の大合併」を巡っての政争の余韻がくすぶっている中、国では政権が自民党から民主党に交代した影響もあり、国県等の補助・交付金の名称や内容の変更などもあり、長年役場職員でいた私でも知らないことが数多くありました。

まさに浦島太郎の心境でした。

松野町議会においては、議員定数が10人から7人に減員、議会の模様はケーブルテレビで中継されることになりました。                          「赤松としゆき議会報告」

とりわけ最大の出来事は、初議会開会の3日後に発生した、我が国にとって未曾有の東日本大震災と福島原発事故でした。

13年の間に、松野町長は阪本壽明氏から坂本浩氏に変わり、議会も2回の改選が行われました。

今回、令和5年2月に行われた選挙では、4人の新生議員が誕生しました。

また、9月定例会では議会改革特別委員会が設置され、議員のなり手不足問題や定数、政務活動費、議員報酬、倫理条例等について調査・研究を行うこととしました。

その改革の先駆けとして、町民に議会の活動状況を出来るだけ分かりやすく周知し、理解を深めていただくために、「議会だより」を発行することとなりました。

私も編集委員として発刊に携わっていくことになったことや、この1年余りでインターネットを使った議会情報が飛躍的に充実され、議会をはじめ町政全般にわたる情報が掲載されるようになったことも踏まえて、私個人で発行していました議会報告は、52回をもちまして終わらせていただくことにしました。

これまで議会報告に対し、温かい叱咤激励の言葉をいただきましたこと、誠にありがとうございました。

今後、議会をあげて発行する「議会だより」が、読者である住民の皆様にとって分かりやすく、読みやすい広報紙となるよう頑張って参りたいと思っておりますので、よろしくお願いします。           

さて、地元にある蔵王神社総代をしていることから、大晦日の午後11時から1年を締めくくる除夜祭と、新しい年をお迎えする歳旦祭を斎行して、令和5年が無事に過ごせたことに感謝するとともに、くる年の安全と益々の繁栄をお祈りいたしました。

1

​​

         

               ​​1

                           蔵王神社の門松を作りました。

 

 
赤松議員の控室  

赤松 紀幸(あかまつ としゆき)です。

昭和24年まれの74歳で、今期は最年長となりました。

現在息子たちは町外に住んでおり、私は妻と二人暮らしをしています。

akamatu

 

akamatu

六十の手習いで始めた米作りは、地域の皆さんのご指導もいただきながら、なんとか人並みのものが作れるようになりました。

最初は、病害虫や雑草に悩まされたものです。

しかし米作りを通じて、地域の水利組合や環境保全会などへの参画が、農業について多くのことを学ぶきっかけになりました。

親任せだった米作りが、今では議員活動に大いに役立っています。

 

 

5月27日には大阪で「森の国まつの応援団関西支部の集い」が開催され、実に4年ぶりに四国外へ出張しました。

大阪の街は外国人も大変多く、コロナウイルス感染症の流行前に戻ってきているようです。

会の終わりにみんなで歌った「ふるさと」を聴いていますと、かけがえのない「ふるさと松野」の維持、存続に頑張っていかなければならないと気持ちを新たにしたところです。

akamatu