国立公園滑床渓谷の入り口で、70年近く観光や登山のお客さんをもてなしてきた「万年荘」。残念ながら建物の老朽化が激しくあちこちで不具合が生じているため、昨年7月に解体し建て替え工事を進めていましたが、このたび請負業者はじめ関係の皆さんのおかげで完成を迎えることができ、ゴールデンウィークを目前にした4月24日に落成式を行いました。ご支援ご協力をいただきました方々に、心からお礼を申し上げます。
さて、滑床渓谷と万年荘の歴史を振り返ってみると、万年荘が滑床の地に建設されたのが昭和32年、松野町の初代町長である岡田倉太郎氏が、当時はまだ珍しかった観光交流によるまちづくりを推進する拠点として、宇和島市の経済界からの支援協力を得て、つまり民間活力を導入して整備したのが始まりです。まさに先見の明があったと言えますが、その理念は、岡田町長が当時の愛読書の余白に書き残し、のちに滑床渓谷鳥居岩の横にある「森の国発祥の碑」に刻まれた「この森にあそび、この森に学びて、あめつちの心に近づかん」という言葉に凝縮されていると思います。なお、その当時に岡田町長のもとで、万年荘の建設や滑床の観光の担当をしていた役場職員が私の父親だったということで、私事で恐縮ですがちょっと運命的なものを感じています。
万年荘の建設後、滑床渓谷はその美しい自然景観から観光客の人気を集め、昭和35年に愛媛県の県立公園の第1号に指定され、その後昭和39年に足摺国定公園に編入、さらに昭和47年に足摺国定公園が宇和海地区を編入して足摺宇和海国立公園に昇格と、年を追うごとにその価値と評価が上がっていきました。万年荘は、その移ろいをずっと見てきたわけで、まさに滑床の歴史の証人と言えるでしょう。
新築なった万年荘、正式名称は「滑床ビジターセンター万年荘」としましたが、この落成にあたり特に感謝を申し上げたい方がいます。それは、長年にわたり万年荘の管理人を務めていただいた竹内義富氏です。万年荘の経営環境が時代とともに変遷する中、竹内さんは時には住み込みで施設や設備の管理、宿泊や飲食のサービスの提供にご尽力され、訪れるお客さんを温かく親切に迎えていただきました。また、地元の目黒部落の区長として滑床渓谷と地元の連携を図られたほか、自然公園指導員として滑床の自然の保護と活用に指導的な役割を果たしていただきました。まさに滑床の歴史を語るうえで欠かせない功労者であり、今後も滑床渓谷と万年荘に貴重なアドバイスをお願いしたいと考えています。ありがとうございました。
今、全国の有名観光地には多くの観光客が押しかけ、オーバーツーリズムが問題化しているようです。確かに経済効果は大きいでしょうが、何か大事なものを見失っている気がします。私は、この足摺宇和海国立公園、そして滑床渓谷は、そういった方向性からは少し距離を置いて、来ていただいた方に本物の癒しと安らぎを与える空間であってほしいと願っています。また、子どもたちにとっては、大自然の厳しさと優しさを肌で感じてもらって、人間性を豊かにする場所であってほしいと思います。
この万年荘が、岡田町長や竹内管理人の想いを具現化する滑床渓谷のシンボルとして、滑床を訪れるすべての皆さんに愛される施設となるように努めてまいりますので、皆さまのご支援ご協力をお願いいたします。
新築になった万年壮
落成式の様子
〇4月25日(金曜日) 愛媛県新幹線導入促進期成同盟会総会に出席
○4月27日(日曜日) 自民党愛媛県支部連合会定期大会に出席
○4月28日(月曜日) 区長会に出席
○4月29日(火曜日) 自転車を活用したまちづくりを推進する全国市区町村長の会
四国ブロック会議に出席
○4月30日(水曜日) キウイフルーツ花粉事業組合総会に出席
松和会総会に出席
○5月1日(木曜日) 定例庁議に出席
海上保安庁宇和島海上保安部長と意見交換
○5月2日(金曜日) 学校教職員研修総会に出席
てまひままつのBBQ協会総会に出席