今年の春は足踏みが好きなのか、ここ数日、桜のつぼみが咲こうかどうか迷っているみたいです。昨年の今頃は、町内の小中学校で満開の桜が卒業生を見送ってくれましたが、今年は新入生の初登校に照準を合わせているのかもしれません。
そんな穏やかな春が、能登半島地震の被災地にも早く訪れて、被災者の傷ついた心を少しでも癒してくれればいいですね。そして私たちも、テレビや新聞で震災関連のニュースが日に日に少なくなっている中で、能登の皆さんに平穏な生活が戻る日まで、被災地に寄り添う気持ちを忘れずに、復旧復興のお手伝いを続けていかなければならないと考えています。
その具体策として本町では、避難所の運営管理に従事する町職員を、石川県輪島市に派遣しています。1月の下旬に出発した第1班、2月の中旬に出発した第2班、そして昨日出発した第3班とも、それぞれ3名ずつのチームで10日間、厳しい寒さの残る避難所の不便な環境の下で、松野町の代表としての責任と自覚をもってハードな勤務にあたっています。
今回の能登半島地震は、多くの皆さんからご指摘いただいているとおり、南海トラフ地震の危険性に直面している私たちにとって、決して他人ごとではありません。倒壊して復旧の見込みが立たない木造家屋、寸断された道路や水道などのライフライン、医療や福祉の機能も大幅に低下する中で、どうやって生活と希望を明日につないでいくのか、私たちは能登の被災地から学ばなければなりません。そのため、派遣職員が現地での活動を通して得た経験や知識を役場全体で共有しようと、6名の派遣職員による活動報告会を開催しました。また、実際に大地震が発生したときには、それぞれの地域でリーダーとして避難所の運営に携わっていただく町議会議員さんや各部落の区長さんにも、出席をお願いしました。
報告会では、まず避難所の厳しい環境が浮き彫りにされました。特に断水による生活用水の不足は、トイレやシャワーの使用制限につながり、避難生活において最大の障害になったようです。また、避難所ごとに供給される食料や生活用品の質に差があり、それが生活レベルの格差につながっているという見方もありました。
その一方で、避難開始直後から自治会長を中心に自主的な避難所運営が行われ、部屋割りや生活する上でのルールなどもスムーズに決定されたということも報告されました。また、体調が悪い人をお互いが気遣ったり、買い物など外出する予定を知らせあったりして、避難生活を前向きにとらえようという機運が醸成されていたようです。
これは、普段から顔見知りの住民同士で維持されてきたコミュニティが、そのままひとつの避難所に持ち込まれたことの効果であり、同じように地域の絆がしっかりとしている本町においても、見習わなければならないと感じました。もちろん、いざ発災時にこのような避難所にするためには、日ごろから住民同士の信頼関係の構築に努めるとともに、実践的な避難訓練などに取り組まなければなりません。この事実を町職員だけでなく、議員さんや区長さんと共有できたことは、大きな成果だと思いました。
活動報告会の様子
〇 3月20日(水曜日)
福岡県に出張
(株)アグリス 中村社長ほかとキウイ花粉事業について意見交換
キウイ園地などを視察
〇 3月21日(木曜日)
ニューガイアアグリ(株) 高嶋社長ほかとキウイ花粉事業について意見交換
キウイ園地などを視察 帰町
〇 3月22日(金曜日)
松野西小学校卒業式に出席
えひめ農林漁業振興機構 兵頭理事長ほかと意見交換
能登半島地震被災地支援チーム活動報告会に出席
〇 3月23日(土曜日)
虹の森まつの保育園卒園式に出席
愛媛大学地域創生イノベーター成果報告会に出席
マツノイズムプロジェクトとの意見交換会に出席
〇 3月24日(日曜日)
虹の森公園まつの・うまいもん合戦の会場を視察
〇 3月25日(月曜日)
能登半島地震被災地支援チーム出発式に出席
宇和島市 玉田副市長と意見交換
〇 3月26日(火曜日)
議員研修会に出席
葬儀に参列