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河後森城とチャットGPT(令和5年4月25日更新)

ページID:0011361 印刷用ページを表示する 更新日:2023年4月25日更新

 「山笑う」という俳句の季語をご存じでしょうか。春になって新緑が芽吹き、景色が明るくなる様子を擬人化したものですが、この時期、松野町の山々は、一斉に楽しげな笑い声を上げているようです。その様子を肌で感じたいと思い、河後森城の植生や景観を調査する史跡見学会に参加してきました。

 中世の城郭「河後森城」は、15世紀から17世紀初めにかけて、伊予と土佐の要衝を守る役目を果たしていた山城で、規模が大きく保存状態もよいことから、平成9年に国の史跡に指定されました。松野町では、町民有志の「森の国・山城の会」にもご協力をいただきながら、発掘調査や遺構保存、景観整備に取り組んでいて、最近のお城ブームもあって、年々登ってこられる方が増えているようです。

 史跡見学会では、松山市や西予市などから参加いただいた約30名の皆さんとともに、汗ばむような陽気の中で登山を開始、河後森城は上から見るとU字型で、その頂上は平坦になっていて、新城~本郭~西曲輪の順に散策しながら、愛媛大学の下條先生や江崎先生に植生や景観、遺構についてご説明いただきました。一番の目的であった新城に群生するオンツツジは、残念ながら少し見ごろが過ぎていましたが、それでもまだ満開の花が咲き誇っている木も何本かあり、私たちの目を楽しませてくれました。
 また、ここ数年は見通しをよくするための間伐を実施していて、頂上部から松野の田園風景を展望したとき、逆に周辺から河後森城を見上げたとき、そして城郭内で他の曲輪などを眺めたとき、いずれの場所からも素晴らしい景観になったと思います。江崎先生には、本郭からの広見川流域の景色は、全国でも5本の指に入るとの評価をいただいています。
 松野町が誇る河後森城、歴史愛好家だけでなく、より多くの皆さんにお越しいただき、豊かな自然や歴史、文化と触れ合っていただくよう、これからも保存整備とともにPrに努めていきます。

 ところで、最近注目の対話型人工知能「チャットGPT」に、河後森城のことを訊いてみました。すると、「河後森城は、愛媛県南宇和郡松野町にある、戦国時代に宇和島藩主伊達政宗が築いた城です。現在は県指定史跡として整備され~(中略)~城址からは、宇和海や大洲市街地、四国山地などが一望でき~(以下略)」
 まあ、この短い回答内容のほとんどが事実誤認ですね。松野町は北宇和郡に属していて、河後森城を築城した人物と年代は不明、伊達政宗は宇和島藩主ではなく、頂上から宇和海や大洲市街地は見えません。
 「チャットGPT」は、ネット上に浮遊している膨大な情報をAI(人工知能)が選択してつなぎ合わせて文章化するものですが、こんなにデタラメが多いということは、河後森城の間違った情報が拡散しているということでしょうね。ここは真摯に反省して、「チャットGPT」にウソをつかせないように正確かつ適切な情報発信に努め、河後森城に限らず松野町の魅力をしっかりと多くの皆さんにお伝えして、交流人口の増大につなげていきたいと思います。​

本郭から松丸・延野々・豊岡方面の眺め

本郭から松丸・延野々・豊岡方面の眺め

「堀切」という防御遺構の説明

「堀切」という防御遺構の説明

本郭のあった山頂平坦部の様子(左手前は西曲輪)

本郭のあった山頂平坦部の様子(左手前は西曲輪)

 ※公務の記録 =4月14日(金曜日)~4月24日(月曜日)=

〇 4月17日(月曜日)

愛媛県市町振興課長と意見交換

〇 4月18日(火曜日)

プロ野球「ヤクルト-中日」を観戦

〇 4月19日(水曜日)

老人クラブ吉野シルバー長生会総会に出席

〇 4月20日(木曜日)

松山地方気象台長ほかと意見交換

学校教職員研修総会に出席

内外情勢調査会宇和島支部懇談会に出席

〇 4月21日(金曜日)

葬儀に参列

北宇和郡合同議員研修会懇談会に出席

〇 4月22日(土曜日)

うわじま圏域子ども観光大使開講式に出席

〇 4月23日(日曜日)

河後森城跡史跡見学会に参加​