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河後森(かごもり)城跡

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年3月31日更新

愛媛県下で最大級の規模を誇る中世城郭

河後森城(かごもりじょう)の紹介

 戦乱の時代、中世。伊予(現在の愛媛県)と土佐(現在の高知県)の国境に位置する当地域は、黒土郷河原渕領(くろつちごうかわらぶちりょう)と呼ばれ、現在の松野町、鬼北町(一部除く)に及ぶ範囲でした。

 この地域と周辺は、天文後期から永禄期、天正期(1500年代後半頃)にかけて、土佐の一条氏、長宗我部氏とのたび重なる戦闘の舞台となっています。この時、河後森城跡の城主として各種史料に登場するのが、河原淵教忠(かわらぶちのりただ)であり、土佐。一条氏の一族から養子として迎えられたと伝わっています。なお、この期間のおわりには下克上により河原淵領主は芝氏となりますが、土佐からの攻撃は一層激しさを増し、長宗我部氏の支配が及ぶに至ります。

 天正13(1585)年、豊臣秀吉による四国討伐が行われ、その後宇和郡は順次小早川、戸田氏、藤堂氏、富田氏の所領となっていきます。この間、河後森城にはそれぞれ城代が置かれました。

 さらに慶長19(1614)年には伊達秀宗が10万石を領して宇和島藩が設立されましたが、このときにも付家老であった桑折氏が7千石を領して河後森城に居城したといわれています。

 このように河後森城跡は、予土国境の城として重要な役目を担い、長期間機能していたのです。

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