松野町の歴史

印刷用ページを表示する 掲載日:2010年3月24日更新

原始・古代

松野町で発見された石器

「松野町で発見された石器」

 松野町に人々が暮らした痕跡は、旧石器から縄文文化という時期にまでさかのぼります。特に野尻遺跡(のじりいせき)や広福寺遺跡(こうふくじいせき)、そして真土遺跡(まつちいせき)では多くの石器が発見されています。これらはチャートや水晶、黒曜石(こくようせき)や頁岩(けつがん)など様々な石材によって作られていますが、多くは鏃(やじり)や斧(おの)、ナイフのような道具として使用されていたようです。実はこの後古代に至るまで、松野町では遺跡が発見されていません。しかし、前の時代からの継続性や近隣の市町村の状況を参考とすると、今後発見される可能性がまったくないわけではありません。

中世

河後森城で掘り出された柱穴

「河後森城で掘り出された柱穴」

 広福寺遺跡では、12世紀頃と考えられる土器を伴って配石遺構(はいせきいこう)や柱穴(はしらあな)が見つかっており、寺院の跡ではないかと想定しています。また町内のほぼ全域には、規模の大小はありますが、中世の山城が17箇所で確認されています。特に松丸から富岡地内にある河後森城跡(かごもりじょうあと)は、国の史跡にも指定されている大規模な山城で、これまでの発掘調査から主に15世紀から17世紀初頭にかけて長期間機能した城であったことが判明しています。


近世

目黒ふるさと館に収蔵されている目黒山形模型

「目黒ふるさと館に収蔵
されている目黒山形模型」

 現在、目黒ふるさと館で展示されている目黒山形模型(めぐろやまがたもけい)は、江戸時代に起きた山争いに関する裁判資料です。イチョウの木で製作された6つのパーツの組合式の模型で、これに関する文書や絵図等も残っています。当時の裁判史や測量技術を解明する上で欠かすことのできない大変貴重な資料です。

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